Loading...

募集要項・エントリー

PROJECT
STORYー 石巻南浜津波復興祈念公園 ー

復興の象徴となる建物に
”設備”という名の命を灯す

写真
PROLOGUE
プロローグ

一人ひとりの社員が参加したプロジェクトを追体験する「プロジェクトストーリー」。今回は、石巻南浜津波復興祈念公園の新築工事について紹介する。同プロジェクトに参加したのは、1993年に新卒で第一設備工業に入社した三浦則幸。宮城県出身の彼は、同県の東日本大震災からの復興を象徴する施設の工事に、どのような思いで携わっていたのだろうか。東北出身という、復興において特別なルーツを持つ彼のストーリーを通して、第一設備工業の施工管理の仕事の魅力が存分に感じられるはずだ。

写真
写真

出身地の復興の力になれるのなら

2011年3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災。最大震度7という強い揺れに加え、その後に発生した津波により広域にわたって甚大な被害が生じた未曾有の大災害だ。そのなかでも宮城県石巻市は、約4000人の犠牲者が集中した国内最大の被害市町村。特に旧北上川河口部に位置する南浜区(南浜町・門脇町・雲雀野町)は津波の襲来とその後に発生した火災によって、500人以上の人々が犠牲となった。テレビに映る凄惨な光景が、今も脳裏に浮かぶという人は決して少なくないだろう。

そんな東日本大震災における被災を代表する場所とも言える同地に、東日本大震災からの復興の象徴、そして鎮魂の場として建てられたのが、2021年に開園した石巻南浜津波復興祈念公園だ。同公園の工事の着工は2018年12月だった。このプロジェクトに参加することになった際の三浦の心境はどのようなものだったのだろうか。三浦は、言葉を丁寧に選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「自分の出身は宮城県白石市。福島県寄りに位置する町です。1993年に入社して、東北支店に配属された自分は、青森・秋田・岩手・福島を転々としてきました。生粋の東北の人間です。その自分が、復興のプロジェクトに携わることになるとは驚きでした。いざ工事となって現地に行くと、被災から7年も経っているにもかかわらず瓦礫が多く残っており、胸がとても痛みました。また、もともと住宅地だったエリアを公園にするということで、とても象徴的な施設になるのだなと感じました。“3.11”の時は秋田の横手市にいて、連絡もつかない故郷のことがとても心配だったのを覚えています。自分が少しでも復興の力になれるのなら。そんな思いで着工の日を迎えました。」

三浦は、機械設備工事の監理技術者として本プロジェクトに参加した。公園には管理棟があり、同建物は津波の衝撃で折れ曲がった標識などを展示する「みやぎ東日本大震災津波伝承館」としての機能も持っている。その管理棟の空調設備・衛生設備・消火設備を担当したのが第一設備工業だ。三浦の監理技術者としての命題は主に4つ。施工計画・工程監理・品質管理・安全管理だ。特に官庁のプロジェクトとあり、施工計画通りの日程と品質で工事が進んでいるかなどを国に報告する義務があり、三浦は第一設備工業の窓口としての役割を果たしていた。

インフラがないなかでの着工

着工当初は、三浦は「どうすればいいのだろう」と困惑したこともあったと言う。東日本大震災の被害で、電気や水道などのインフラが壊滅していたのだ。電柱を埋められないかと考えたこともあったが「公園に電柱は……」という意見が多く、工事用発電機で電気をまかなった。水は家からポリタンクに入れていき手を洗った。

図面はCADで描いた施工図を使用した。コンピュータ上で建物と設備の配置を再現することによって、この工事は順調に進んだと言っても過言ではない。特に、施工図でわかりづらい部分は3D化し、協力業者の人々と施工手順を話し合い工事を進めた。

それでも、管理棟は円形の形状だったことに加えて、柱の本数が非常に多く床下に引く配管のラインには手こずった。現地での墨出しも大変だったと振り返る。
※墨出しとは空調のダクトや給水の配管の取り付け位置を現地に書き出すこと)

「管理棟は屋根だけではなく、基礎も丸だったので、片側一方から寸法を出せるように基準線を多く書きだしました。四角い建物だと比較的容易にできるのですが。加えて、どこに配管を通すかにも苦労しました。」

ただ、苦労の分、乗り越えられた時の喜びはひとしおだ。

「設計図を基に施工図を作成し、そこから施工計画を立てていきます。建物ができ上がっていく過程を間近で見ることができるのが私たちの仕事の最大の魅力。
第一設備工業は清水建設グループの一員ということもあり、官公庁のプロジェクトも多いです。
社会貢献にもつながり、地図にも残るものづくりができることが幸せです。」

そんな思いのなか、本プロジェクトにおいて大切にしたことは「施工手順 を上手に計画し、施工が大変な場所を減らすこと」と三浦。本プロジェクトに限った話ではないが、妥協しないことが三浦の信念だと言う。

「『まあ、いいか』はありえません。職人さんにも同じ気持ちで臨んでもらっています。そのためにも、施工の順番を上手に計画することが大切です。大変な場所ほど妥協する心が顔を出してしまいがちなので、やりづらい箇所をできるだけ減らしていくのです。特に床下は隠れてしまって見えづらいので、真摯に誠実に。それが会社の評価にもつながります。何より、管理棟は祈念公園において“3.11”を次の世代に伝える建物。建物として生きるように、設備がしっかり機能するように努めました。」

写真
写真

地元の人の笑顔に安堵

工事は2020年3月25日に竣工を迎えた。しかし新型コロナウイルスの影響があり、開園したのは2021年の3月28日と約1年後。それでも、その8日前には2020年東京オリンピックの聖火が宮城県東松島市にある航空自衛隊松島基地から石巻南浜津波復興祈念公園に到着した。

「開園前から並んで、聖火が到着する様子を最前列で見ることができました。地元のみなさんがパッと笑顔になったのを見て、この建物の工事に携わることができて本当によかったと思いました。仙台にいる私の子どもからは『お父さん、いいな』と羨ましがられました。工事が始まる前は電気も水道もなく、どうなることかと思いましたが、なんとかなるのだなとも思いました。この経験を生かして次のプロジェクトもタフに頑張ります。」

取材を経て、三浦のポジティブさに改めて気付かされた。彼の好きな言葉は「人生楽しまなきゃダメ」。
彼のポジティブなマインドは周りで作業する人々にも好影響を与え、インフラの壊滅した大変な状況下での難しい工事を成し遂げる大きな要因となったはずだ。

「工事中、劇的なハイライトがあったわけではないのですが、私の話記事になりますか?」と不安げに東北支店に帰っていった三浦。淡々としているが「妥協はありえない」と静かながらも強い意志で、復興の象徴となる建物に設備という名の命を灯した。東北出身というルーツを持つ三浦だからこそ話せた言葉があり、生まれた思いがあるはずだ。
今この記事を読んでいるみなさんには、三浦の言葉はどのように届いただろうか。

第一設備工業が復興の一助となることができるのなら、と参加した本プロジェクト。
復興の意志を日本中に、そして世界に伝え続ける祈念の場として末長く愛されることを願い、三浦は今日も妥協なく現場に向き合っている。

他のプロジェクトストーリーを見る

写真

Project Story - 01豊洲市場青果棟

写真

Project Story - 03 流通経済大学付属柏中学校 図書・メディア棟

写真

Project Story - 04シチズンマシナリー株式会社新工場

人を知る

写真

横浜支店工事部/施工管理駒井崇広

写真

本社調達部佐々木駿

写真

東京支店工事部/施工管理川口純奈

写真

座談会01シミズグループのいいとこ取りが、第一設備工業。

写真

座談会02第一設備工業の新卒社員の“ホンネ”と“夢”